令和の大改修を終えてリニューアルした岡山城に行ってきました。
令和4年(2022年)11月3日、約一年半の工期を終えました。
今回の大改修は耐震補強やバリアフリー対応、それに外壁の全面的な塗り直し等など。
岡山城は外壁の下見板が黒塗りなことから「烏城」の別名があります。
今回、その漆黒がよみがえりました。
岡山城・天守閣
岡山城の天守は五角形で左右非対称、不等辺五角形です。
全国的に見ても特殊な形と言われています。
岡山市の観光振興課によると、元々の地形を活かして建てられたため、このような形になったとか。
岡山城は戦国時代に宇喜多直家が本拠として、宇喜多秀家の時代(慶長2年《1597年》)に建てられました。
戦国時代は実戦に向いた城が求められたため、歪な形でも強固な砦として建てられたのでしょう。
外壁が黒いのは、豊臣秀吉の時代に高級な黒漆を用いた城が流行したからだそうです。
戦前は国宝だった岡山城の天守は1945年(昭和20年)6月29日の岡山大空襲で焼失してしまいました。
岡山城 月見櫓
岡山城「月見櫓」は消失を逃れました。
池田忠雄の時(寛永年間《1620年代》)に建設された小さな建物です。
唐破風造りの出格子窓、日常生活向けの御殿仕様が特徴となっています。
往時を偲ばせる隅櫓で国指定重要文化財(戦前は国宝)に指定されています。
櫓は元々は武器庫でしたが、平和な江戸時代には月見など四季の眺望を楽しんだり、宴を催すために使われていたそうです。
岡山城の様々な石垣
江戸時代の石垣も残っています。
宇喜多秀家が建築した最初期の石垣も残っていて、地中から発掘されています。
戦国時代の石垣は、より昇りにくくなるように切り立って、角が尖った形になっています。
銃眼石
防備のため、塀の内側から鉄砲で狙い撃ちするための隙間があります。
だいたいどの城も銃眼石は設置されていますが、このような形のものは、徳川幕府の城(江戸、大坂、二条)だけだそうです。
岡山の藩主・池田家は外様大名でしたが徳川家康から見込まれて、縁戚関係にありました。
その縁で銃眼石も同じ物が使われていたのかもしれません。
穴蔵
月見櫓の傍らには穴蔵という倉庫の跡があります。
非常用の食料保存庫で、建造当時は屋根も付いていたとのこと。
不明門 映画『レジェンド&バタフライ』特別衣装展
岡山城内にある「不明門(あかずのもん)」では特別展も開かれます。
リニューアルした岡山城をアピールするために、戦国武将・織田信長を木村拓哉が演じ、濃姫を綾瀬はるかが演じた映画「レジェンド&バタフライ」の劇中衣装を公開する特別展が開かれてました。
台湾人の妻・イクリンがぜひ行きたいということで行ってきました。
不明門に入ったのは始めてです。劇中の重要なシーンのパネルが展示されてました。
キムタクと写真を撮るイクリン。
メインの展示は映画のクライマックスで使用された2人の寝間着装束とマント。
かなり細かいところまで作り込まれていました。
映画で重要な意味を持つというカエルの香爐。
織田信長に敵対して討たれた浅井久政、浅井長政親子、朝倉義景の髑髏に金箔を施した杯も展示されています。
かなりリアルに作り込まれていて、イクリンはビビってました。
織田信長と岡山城
なぜ織田信長の展示が岡山城で行われたのかというと、信長は岡山にゆかりがあるという理由からでした。
岡山城の礎を築いた宇喜多直家は1570年代に織田勢に属して、西の毛利勢に敵対していたため織田信長の勢力下で最前線でもあったようです。
往時の岡山城天守閣は金箔の瓦で彩られていましたが、この手法を初めて採ったのも織田信長とのこと。
岡山城は岡山藩と池田家の印象が強いですが、戦国時代には織田信長や豊臣秀吉の影響も強かったと改めて感じさせられました。
岡山城の天守閣内部の展示も一新されていて、岡山市出身の歴史学者・磯田道史氏が監修されているそうです。
また内部についても記事にしてご紹介します。